住む家を失った私は北海道で冬のホームレス生活

約5年にわたる交際にピリオドが打たれ、私は彼女の家から追い出された。

北海道の11月はすこぶる寒い。日中は滅多に行かなかった大学で時間を潰し、

夜の寝床を考えていた。呼べば泊めてくれるような女性は何名かいたが、

都合よく毎日は見つからない。自堕落な生活を送りすぎて、アルバイトも

見つける気にならず、所持金も底を尽きていた。

 

寝床がないホームレス生活の初日は、歩いて24時間営業のコインランドリーで

一夜を過ごした。置いてあるボロボロの漫画を何度も読み、ソファで横に

なってみたりしたが、決して眠れることはなかった。寒さもあったし、

いつ誰が来るかもわからないコインランドリーで眠れるほど、私のメンタルは

強くなかった。大学が開いても、横になってぐっすり眠れる場所は全く

見つからなかった。図書館の椅子で少し眠ることはできたが、部活に向かうに

しても体中が痛く、とても運動する気にはならなかった。

 

以前から不規則な生活を送っていたので、食事は1日1食でよかった。

ただ、その1食すらとっていないと、とてつもない空腹が襲ってきた。

スーパーマーケットの試食コーナーを利用した時はとても惨めな気持ちになった。

ミカンや魚の加工品では飢えなどしのげないのだが、少しでも食べ物を口に入れれば、死ぬ気はしなかった。万引きなどの犯罪は一切考えることがなかった。

このままでは死んでしまうと思ったが、都合のついた女性に保護してもらえれば、

空腹も睡眠もきっと全て解消される。そんな甘い考えで、泊めてくれそうな

誰かからのメールだけを待っていた。

 

あまり頻繁にコインランドリーに寝泊まりするのは、とても不安だった。

本物かどうかわからないが、仰々しい監視カメラがつねに自分を見つめているような

気がしていたのだ。いつか出入り禁止になってしまえば、本当に真冬の北海道に

放り出される羽目になる。決して都会と言えない田舎町だったので、

24時間営業しているのは漫画喫茶とコインランドリー、ガソリンスタンドくらい

しかなく、私は大学が開く朝の7時までは、とにかく夜通し歩き続けた。

色々な店のアルバイト募集は見たが、髭も毎日剃れず、交通費もない自分に

全く自信が持てず、どこの面接も受ける気になれなかった。ましてや、

日払いのアルバイトなどなかなか無いので、給料日まで待てないと思った。

 

誰かに事情を正直に話して、一時的にでも助けてもらえば良かったのだが、

部活の先輩や大学の同級生にホームレス生活をしていることは何故か言えなかった。

ホームレス生活にとって一番必要ないものは“プライド”や“見栄”なんだと心から思う。

風しかしのげないバス停や、ストーブもない無人駅のベンチに座りながら、私は

ただただいつ止まるか分からない携帯電話で、誰かからの助けを待ち続けた。

大体2日に1回は誰かしらの家に泊まることができたのだが、洗濯や料理、

ましてや金銭の要求はとても自分からはできない。

風呂に入り、ただただ眠るだけ。都合よくヒモになれるほどの容姿でもなく、

ましてや同じ服ばかり着まわしていたので、同じ女性の家に何度もお世話に

なることはできなかった。

 

そして半月が過ぎた頃、唯一のライフラインであった携帯も料金未払いで

ついにストップしてしまった。出会い系サイトにアクセスすることはもちろん、

誰かに自分から連絡を取ることもできなくなった。その頃には体力の低下で

部活動にも顔を出せなくなっており、もっぱら大学の人目につかないところで

体を休めては、泊めてくれるような友人が見つかれば、その家で簡単な食事や

シャワーなどを済ませ、誰も見つからなければ、夜通し歩き続ける生活だった。

雪の少ない地域ではあったものの、12月ともなれば夜通し歩き続けるのは

不可能な状況。このまま誰にも頼らなければ、本当に命の危険が迫る。

ましてや、大学は冬休みに入り、友人達もほとんどが帰省してしまう。

どんどんと不潔になっていき、アルバイトも困難になっていく。

決断の時が迫られていた。